形式名詞や補助用言の扱い
補助的な名詞、動詞、形容詞
日本語には英語など他の言語と同じように名詞や動詞、形容詞といった品詞の区別があります。品詞は文の中でどのような役割を持ち、どのような働きをしているかによって単語を分類したものであり、文法における基本的な要素です。
さまざまな役割をもっている単語をいくつかにグループ分けするわけですから、その分類方法は人によって違ってくる可能性があります。実際、品詞の分類は日本語でも英語でも絶対的な規範があるわけではないのですが、日本語の場合、学校文法では一応、活用のあるなしや自立語か付属語かなどによって「動詞」「形容詞」「形容動詞」「名詞」「連体詞」「副詞」「接続詞」「感動詞」(以上、自立語)「助動詞」「助詞」(以上、付属語)の10品詞に分けているようです。
品詞が同じであるということは、文の中での役割や働きが同じとみなせることになるわけですが、実際には同じ品詞でも異なる役割や働きをもつものがあります。
たとえば、名詞はもっともよく使われるおなじみの品詞です。基本的に名詞は活用をせず、主語になることができるという性質を持っています(こういう単語を体言という)。しかし、名詞の中には他の単語に付いて体言的な性質の語句を作る「形式名詞」というものもあるのです。
形式名詞とは、たとえば「書くこと」の「こと」、「正しいもの」の「もの」、「出たところ」の「ところ」、「食べるとき」の「とき」など、動詞や形容詞といった用言にくっついて体言化したりする名詞です。
この場合、文の構成を見れば、確かに名詞と位置づけられるようにも思われますが、本来の意味を表現しているとは言えず、ほとんどその前にある動詞や形容詞を名詞化するだけの役割になっています。つまり、意味的には本来の名詞の役割を持たず、形の上で名詞にするために使われているわけです。
同じように形容詞にも、本来の意味を表さず、他の単語に付いて使われる「補助形容詞」(形式形容詞)と呼ばれるものがあります。たとえば、「ない」とか「ほしい」は、「本がない」「ご飯がほしい」というように単独で使えば一般的な形容詞ですが、「楽しくない」、「知ってほしい」というように使った場合、「楽しい」という形容詞、「知る」という動詞にくっついて補助的な意味を加えているに過ぎません。
さらに同様に、「変わっていく」の「いく」、「なくなってくる」の「くる」、「来てもらう」の「もらう」、「置いてある」の「ある」なども、本来の意味が失われ、前の動詞を受けて意味を補助的に付け加えるだけの機能しかありません。こういった動詞を「補助動詞」と呼びます。
形式名詞や形式形容詞(補助形容詞)、補助動詞は、それぞれ名詞、形容詞、動詞の一種であり、形の上では普通の名詞、形容詞、動詞と同じように扱うことができます。しかし、現代の日本語の文章では、他の品詞とは表記上区別することが少なくありません。
よく目にする表記法としては、たとえば、同じ「こと」や「もの」であっても、一般の単独の名詞として使った場合は漢字で、形式名詞の場合はひらがなにするというやり方があります。同様に、補助動詞や補助形容詞もひらがなで表記することが一般的です。
同じ文中で、同じ品詞の同じ単語が、漢字になっていたりひらがなになっていたりするわけですから、これでは一見して単なる表記の不統一と思われかねません。表記の使い分けをしなければ意味を取り違えてしまう、というほど難しい使い方でもないのに、なぜわざわざこういったやり方が行われているのでしょうか。
漢字制限の流れとひらがなルール
形式名詞や補助形容詞、補助動詞のような使い方は古くからありましたが、これらをひらがなで表記するというルールが昔から一般的だった、というわけではないようです。江戸時代や明治期など戦前の書物を見ると、これらを漢字で表記しているものもたくさんあります。
我が国では、明治以降、たびたび国語の改革が声高に叫ばれてきました。日本語をより大衆に分かりやすいものにするためには、漢字を廃止するべきだとか、難しい書き方をしないでより平易なものにすべきだといった主張です。
大正時代になると、新聞各社が紙面で使用する漢字の制限を打ち出すようになります。さらに戦後は、国の方針として、社会で使う漢字を制限する「当用漢字表」や口語に合わなくなった仮名遣い表記を口語に合わせた表記に改めた「現代かなづかい」が策定されました。形式名詞や補助形容詞、補助動詞をひらがなで表記するといったルールも、実際にこの動きの中で推奨されるようになったものです。
こういった動きは社会一般で使われる日本語を変えることを最終的な目的としたものといえますが、上からの強制が国民全般の文章の表記にどこまで影響を与えたかは分かりません。本来持っているはずの意味が薄れてしまった形式名詞や補助動詞、補助形容詞は、見た目で意味を伝える表意文字である漢字で表記するメリットがないわけで、使用する側の感覚が変化したためひらがな化が進んだと指摘する人もいます。
現在、文化庁のWebサイトに収録されている資料の中にかつて国語審議会のまとめた「当用漢字改定音訓表(案)」があります。この中に「感動詞・助動詞・助詞はかなで書くこととする。なお,次のようないわゆる形式名詞・補助動詞もかなで書く」と書かれています。
なお、このサイトにあるのは昭和45年の国語審議会部会報告ですが、同じような通知は以前から出されており、戦後の公用文の書き方におけるこれらのルールが、形式名詞などのかな書きが一般に広まるようになった要因のひとつであることを窺わせます。
現在、多くの出版物において、形式名詞や補助動詞、補助形容詞はひらがなで表記するというルールが採用されています。ただし、それは日本語の普遍的な表記ルールというわけではなく、あくまでそれぞれの本の編集方針に基づいて採用されたルールです。ですから、これらを漢字で表現する文章も当然ながら「あり」なのです(ただし、一冊の本のなかで統一されていなければ表記の不統一という非難は受けざるを得ない)。
とは言え、かな書きが主流の現代文に見慣れた目からすると、これらに全て漢字が使われた文章にはやや違和感を覚えるかもしれません。
(田村 2009.9.14初出)
(田村 2024.9.6更新)