電子出版の将来性
電子の紙
これまで、出版というのは紙の印刷物を発行することでした。ところが、コンピュータが普及し、インターネットが当たり前になってくると、出版といっても紙の印刷物とは限らないようになってきました。
Webサイトで自分の文章を発表することは、自費出版で自分の本を作るのと意味的には同じです。ただし、読者の側で考えた場合、パソコンのモニタでWebを見るのと紙の印刷物を読むのとは、必ずしも同じではありません。
パソコンのモニタは、グラフィカルな画面や動画を見るには最適ですが、文字を読むのに向いているわけではありません。モニタは画面がちらついたり、解像度が低くて小さな文字が読みにくかったりしますし、持ち歩く際にも電源が必要など、印刷物にはない問題が少なくありません。小説などの長い文章を読むのであれば、やはり印刷物には敵わないのです。
デジタルデータを印刷物と同じように読むには、モニタに代わるデバイスが必要だという発想から、新しい表示デバイスの研究も各社で盛んに行われてきました。中でも古くから研究を行ってきたのがゼロックス社のパロアルト研究所です。OSのGUIやレーザープリンタ、イーサネットなどさまざまな画期的技術を開発し、現在のパソコンの基礎を築いたといっても過言ではないパロアルト研究所では、すでに40年も前から印刷物に代わる電子デバイスの研究が行われてきました。
Gyricon(ジリコン)と呼ばれるゼロックス社の電子デバイスは、たくさんの微小な粒子を内包した折り曲げ可能なディスプレイです。粒子は半分が白、半分が黒に塗り分けられた球体で、白い部分が上になると白く見え、黒い部分が上だと黒く見える仕組みです。粒子は静電気を帯びており、電界をコントロールすることで、文字や絵柄を表示させることができます。
Gyriconの特徴としては、紙と同じように光を反射して表示するため、目に優しくて視認性が高く、しかも電気を切ってもしばらくは表示がそのまま残るため消費電力が液晶などよりはるかに少ないといった点が挙げられます。
Gyriconは2000年代には実用的な段階に入っていましたが、ゼロックス社は残念ながら2005年には自社での実用化を断念してしまいます。
Gyriconのように微小な粒子を使って表示させる方式をマイクロカプセル方式と言いますが、この方式でもっとも早く実用化されたのがE Ink社の電子ペーパーです。E Ink社は、米国MITメディアラボで電子デバイスを研究していたメンバーを中心に1997年に設立されたベンチャー企業ですが、MITでの最先端研究を発展させ、電子ペーパーを使った電子デバイスの世界初の市販にこぎつけました。それがソニーのLIBRIe(リブリエ)です。
LIBRIeは、2004年に発売された電子書籍用デバイスで、紙に近い白色度、高い解像度を備えていました。薄型軽量で消費電力がきわめて少なく、電池を切っても長時間そのままの表示が維持されるため、電車の中で吊革につかまって文庫本を読む感覚で電子書籍を読むことが可能になりました(追記:その後、アマゾン社のKindleに採用されたことで、爆発的に普及が進み、いまや電子書籍用デバイスにおける代表的な素材とみなされています)。
なお、E Inkの電子ペーパーはモノクロ表示には優れていますが、カラー表示は開発段階であり、実用化まであと少しといったところです。階調表現も印刷物や液晶に比べると劣り、また液晶に比べて応答時間が掛かるため動画にも今のところは対応できません。
電子ペーパーは、印刷物および液晶デバイスに置き換わるものとして期待されたこともありましたが、メリットとデメリットを併せ持つ特徴的なデバイスだけに、完全に取って代わるというより特徴に合わせて住み分けがなされていくようです。
電子出版のあるべき姿とは
ソニーはLIBRIeで読むことを前提にした電子書籍サービス会社パブリッシングリンクを起ち上げ、2004年から専用サイトTimebook Townで電子書籍の販売を行っていました(追記:LIBRIe、Timebook Townはいずれも思うように普及せず断念。一方、2006年に米国で販売を開始したソニー・リーダーはある程度普及したものの後発のAmazon Kindleの急速な普及で2014年に米国市場から撤退しています)。
読者の側から考えた場合、文庫本なら本を買うだけですむのに、電子書籍は専用デバイスが必要となると、書籍データそのものが多少安くても購入する気になりにくいでしょう。松下電器もΣBook(シグマブック)という電子書籍用デバイスを発売していまたが、やはり苦戦が続き販売を中止しています。
これら電子書籍専用デバイスに対し、カラー表示をクリアし、しかも普及度という面で大きなアドバンテージがあるのが液晶デバイスです。細かな文字の視認性などは電子ペーパーに及ばないものの、ある程度の長さの文章であれば十分実用的です。何より携帯電話などで広く使われており、新たにデバイスを購入しなくてもいいという点は大きなアドバンテージです。
現在、携帯電話ユーザーに向けた電子書籍サービスはいくつもありますが、その嚆矢となったのが新潮ケータイ文庫です。これは、新潮社の小説をデジタル化し、携帯電話向けに配信するというもので、連載小説をメールで毎日配信するというサービスもあり、いまや誰もが持っているデバイスである携帯電話で読めるという気軽さが受けて成功を収めました。
電子書籍をパソコンで読むというニーズも古くからあり、老舗電子書店パピレスを始めとして、数多くのサイトでPDFや各種フォーマットでの販売が行われています。パソコンの場合、電子書籍を読むためにわざわざパソコンを起ち上げなければならないという点が従来の紙の本に比べるとハンディです。ただし、カラーの写真集でも安価に提供できるといったメリットがあり、また、動きのあるものや音声を伴うものなど、従来の出版物の枠に収まらないものには強みを発揮します。
ここにきて、電子出版の将来が、少し前に語られたようなバラ色というわけではないということが理解されるようになってきました。デバイスや提供方法、利用形態、そして中身によって、何が最適な形なのかも違ってきます。将来的には、紙の印刷物を含めて多様な出版物が混在し、使い分けられていくのではないでしょうか。
追記:この記事を書いた一年後にAmazon社は米国でKindleサービスを開始、電子書籍の流れを作り、普及が急速に進みました。日本でも今やKindleを中心に電子書籍の普及が進んできていることは周知の通りです。
(田村 2006/11/6初出)
(田村 2016.11.7更新)